越後野志より式外社 八幡神社(蒲原郡)
現在は阿賀町(旧 鹿瀬町)
豊田荘八幡村にあり、祭神は八幡大神で、長く歴史ある祠で、年歴は不詳。
社地には杉の大樹が多く、現地の人が言うには、文治3年春、源義経が奥州に潜行している時、鎌倉の検議が強く奥州に行き難く、しばらくの間、この村の農家に隠れて住んでいた。鎧、刀をこの祠に奉納し近世までは残っていたのを、領主 新発田公が刀を研いで納めていたのを、神職が私用に社木を伐採し、領主の咎を受け出奔した日に、刀、鎧を持って行ってしまったという。
[私の感想メモ]
なかなか酷い神職が居たものだと笑ってしまいました。
義経の逃避行のルートだったのですね。
神社明細帳を見るために地名を鍵に追って探してみましたが、該当する八幡神社はありませんでした。もしかしたら、福島県の神社明細帳にあったりして??
豊田荘 八幡ですから、豊田村。
元々は、会津の管轄でしたが、
その後、合併し豊実村 その後また変わって、
それから、また合併で阿賀町に名前が変わってしまいました。
残念。探し方が悪いのだろうか?
新潟県神社庁のサイトを確認すると阿賀町に若宮八幡宮は数社ありますが、旧鹿瀬町以外の区域らしい。
旧小川荘の現在は阿賀町西にある西村八幡宮に義経の言い伝えが残っていると町の公式サイトに記載がありました。豊田荘が、小川荘という間違いは無いと思うので、謎が深まりました。
阿賀町は、行ったことが無いので、機会があれば出かけてみたいですね。