「越後野志」式社 奴奈川神社 旧西頸城郡
式社 奴奈川神社 糸魚川市
祭神
舊事記には、大己貴命が奴奈川姫と結婚するために行幸した時に、姫に歌を詠んだ。
この本の四巻には、大己貴命が奴奈川姫を娶り、一男を授かる。その子が、信濃、諏訪の諏訪神社の建御名方神という。
出雲風土記によると、天下作った所、大神がオキツクシイノミコトの娘である奴奈川姫を娶り、ミホススミノミコト神を産ませるけれども、この神は、美保という出雲の美保郷にいる。
祠廟は糸魚川東南三丁を隔て一宮村にあり、一名、上刈村、神領百石、社地方三町、天津社と称する。
別当(役職?)神宮寺、野伊奈義権現という摂社があり、
毎年3/10祭礼があり、稚児の舞があり、古楽や、舞の面は古物が多く、横笛、太鼓、しゃく?拍子を使って囃す。音律は辺鄙の声で、はなはだ野調であっても舞い、必ず、雅楽の趣きがあり、12曲を奏でる。
振鉾 小児4人舞
按摩 小児面 1人
難?冠 小児4人舞
抜頭 大人 1人
破魔弓 小児4人舞
兒納曽利 大人2人舞
能抜刀 大人1人面舞
花籠 小児4人舞
大納曽利 大人2人舞
太平楽 小児4人舞
退出
陵王 大人1人舞
小児13〜14才の者を選び集め、大人は例年覚えている者、祭礼の一ヶ月前より拝殿で毎日拍子合わせのため、舞い手、今現在の流行のことを交えず、昔から学んできたままを律儀に守るために、古風で雅であり、その始まった年は土人も知らず、400年前はしばらく間断していたが、近隣の老婆の舞を知り得て中興したという。
土人の説で、大和川村の西方二町、押上浜の海中から昔の年の木神像と鐘を拾って、里人がこれを天津社に納めて、これ以降毎年3/10祭礼にこの像を御輿に載せ、40人烏帽子と狩衣を着て、天津社地内を回ることを三度し、鐘をつき鳴らす。この日以外はこれを禁止している。鐘銘永享四年と記してある。
「個人の感想」
奴奈川神社は、最初から奴奈川神社ではなく、天津社という名前だったのかな?
奴奈川神社と天津社は、一緒になっています。
故人である73世竹内宿禰の竹内睦泰さんによると、大国主の子に、建御名方とタケツノミがいるのですが、奴奈川姫は建御名方の子であるとして、タケツノミは誰が母なのでしょうか?
越後野志に、他の神社と違って舞について細かく書いてあるので、なかなか珍しい神楽なのかもしれません。
喧嘩祭りが毎年4月にあると聞いています。
糸魚川市役所に近い場所にある神社です。