越後野志より式社 伊夜比古神社[弥彦神社]その1 (名神大) 蒲原郡
祭神 天香山命
日本記神代巻下では、天火明命の兒(子)、天香山命。尾張の連の遠い祖である。
天火明命饒速日は、その子、天香山命またの名を高倉下命(たかくらじのみこと)、この12世孫の尾綱根命は應神天皇より恩寵を受けて、尾張の連の姓を賜った。
ある説では、高倉下(たかくらじのみこと)は、天香山命の子である
奮事記の3巻では、高皇産靈尊の勅令で、尾張連の祖である天香山命は越後国の防衛を為すため、越後国を平定した。
神名帳考証では、大屋彦命
奮事記では、五十猛神を大屋彦命ともいう。
調べるに、文徳實録4巻では、勤臣の儀を賜り、姓を伊蘇志臣を賜った。五十は、訓読みで、伊であり、伊の字功訓は伊佐の略であり、
書洛誥では、功宗を元年とし、功宗之尊という身分の高い者が記されている。
続日本後記では、淳和天皇の天長10年の秋、七月丙戌朔戊子、◯三日 越後國の蒲原郡は伊夜比古神というこの名神(霊験あらたかな特にすぐれた神)が預かっている。蒲原郡は毎年日照りと疫病があるが、雨を降らし、病から救った。
その2に続きます。
[私なりのメモ]
過去の他の神社の記事では、驛を澤と読み間違えていたかもしれません。駅の旧字体の驛を、澤と空目していたかもしれません。直さないと...
功宗という人が始めた王朝があった可能性もありますね。