しばらく更新をお休みします
今まで、越後野志の記述の内容を確認するために、越後佐渡デジタルライブラリーから、寺院明細帳や神社明細帳などのスクショを転載していたのですが、最近、著作権を侵害していないかどうか気になりはじめました。
金銭目的でこのブログを書いてはいませんが、もしかしたら二次利用にあたるのかどうかなども気になり始めたので、記事中からスクショを削除するために、ブログをお休みします。
スクショを削除した記事から、再度、公開していくつもりです。
越後野志は昭和11年刊行から余裕で70年経っているので、著作権的には大丈夫なはずなのですが、越後佐渡デジタルライブラリーの方は、明細帳をデジタル加工して保管し所蔵する団体の著作権の関係もありますので、スクショは削除するのが無難かなと思っています。
越後野志より式外社 八幡神社(蒲原郡)
現在は阿賀町(旧 鹿瀬町)
豊田荘八幡村にあり、祭神は八幡大神で、長く歴史ある祠で、年歴は不詳。
社地には杉の大樹が多く、現地の人が言うには、文治3年春、源義経が奥州に潜行している時、鎌倉の検議が強く奥州に行き難く、しばらくの間、この村の農家に隠れて住んでいた。鎧、刀をこの祠に奉納し近世までは残っていたのを、領主 新発田公が刀を研いで納めていたのを、神職が私用に社木を伐採し、領主の咎を受け出奔した日に、刀、鎧を持って行ってしまったという。
[私の感想メモ]
なかなか酷い神職が居たものだと笑ってしまいました。
義経の逃避行のルートだったのですね。
神社明細帳を見るために地名を鍵に追って探してみましたが、該当する八幡神社はありませんでした。もしかしたら、福島県の神社明細帳にあったりして??
豊田荘 八幡ですから、豊田村。
元々は、会津の管轄でしたが、
その後、合併し豊実村 その後また変わって、
それから、また合併で阿賀町に名前が変わってしまいました。
残念。探し方が悪いのだろうか?
新潟県神社庁のサイトを確認すると阿賀町に若宮八幡宮は数社ありますが、旧鹿瀬町以外の区域らしい。
旧小川荘の現在は阿賀町西にある西村八幡宮に義経の言い伝えが残っていると町の公式サイトに記載がありました。豊田荘が、小川荘という間違いは無いと思うので、謎が深まりました。
阿賀町は、行ったことが無いので、機会があれば出かけてみたいですね。
越後野志より式外社 飯田神社(蒲原郡)
式外社 飯田神社
下田郷飯田村五十嵐川の岸に祠廟があり、
祭神は若一王子
社地は杉の大樹が多く
祠廟の後ろに大きな杉は、大きい石を包んでいる。
現地の人が言うには、文治の年代に、五十嵐の領主 五十嵐小豊治が自分の力を試そうと礫(礫)を投げ入れたという話があり、
ある説に五十嵐神社はこの祠であるという。
[私の感想メモ]
神社明細帳を見ても、下田村飯田にあるのは、五十嵐神社のみ。
こちらの2021年10/23の記事で、越後野志の伊加良志神社(いからし)をメモしました。
https://echigonoshi.hatenablog.com/entry/2021/10/23/222809
本の記載内容がまるで八木神社のことだったので、
越後野志の式外社の飯田神社は、現在の五十嵐神社のことを記載していると思われます。
五十嵐神社と八木神社の神社明細帳のスクショも、このリンク先の記事に貼り付けました。
越後野志より式外社 三坂神社 魚沼郡(湯沢町の三国権現)
三坂神社 魚沼郡 (湯沢町)
上田郷三国嶺の上にあり、ここは越後、信濃、上野三国の境界であるため、三国の一の宮である伊夜彦明神・諏訪明神・赤城明神の三つの祠を勧請して建てたのを、三坂明神と号する。
神社明細帳のスクショもなぜか見つかりませんでした。
[私の感想メモ]
御坂三社神社(三国権現)のことでした。
検索して、いろんな方のブログを拝見しましたが、
険しすぎて、登山愛好家でないと、なかなか登れなさそうな山の上にある絶景の神社ですね。
雪国観光のサイトでの紹介 湯沢町
http://snow-country.jp/?a=contents&id=606
普通の人でも一回登れば満足できそうなのに、上杉謙信は10回以上も参拝している記録があるそうです。どれだけ頑健だったのか。